bokeh

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一眼レフのような焦点以外のとろみ(ぼけみ)が出せない…むずがゆい。
G7を手に入れてから、接写表現に夢中になった。それは自分の眼よりも鮮明な、三つ目の眼(レンズ)であった。
しかし一方で、ポラ写真に代表されるような、霞がかった不鮮明な写真も好きなのだ。
bokeh=ボケ
日本語が語源なんですって…!曖昧さを好む日本人観が表れたことばです。

浜田 涼「忘却録」の展示に出向き、「眼」ついて考えてさせられた。
そこにあるのは、輪郭が溶けて、得体の知れない塊となったもの。
カメラ技術が進歩して、我々はどんどんミクロの世界に近づいてゆく。
そんな時代と逆行するかのように、それはあった。

『人間は、写真が鮮明であればあるほど被写体の世界に迷い込んでゆく。逆にカメラ特有のぼけみを目にすることによって、カメラという媒体(撮影行為)を意識することになる』
というようなことを浜田氏は言っていたような気がする。

マクロレンズを付けた際のぼけみが印象的な、一眼レフの写真
→主観的

入試デッサンのようにすみずみまでピントのあった、一般デジカメの写真
→機械的

夢のようにすべてが霞がかったポラ写真 →記憶的
(浜田氏の作品はここに位置する)

  * * * * * * *

写真とは一瞬を焼き付ける技法だが、「その一瞬のなかにさらに動きをつける」ことが可能であるという。
レンズベビー
このレンズを使えば動的なぼけみを演出することができる。
我々の時間概念は、日々細切れになってゆくようだ。

2008年06月30日 トラックバック(0) コメント(2)

カメラ・オブスキュラですな。
写真とカメラ・オブスキュラの違いについては↓を参照あれ。
http://d.hatena.ne.jp/morohiro_s/20060425/p1

2008年06月30日 百識 URL 編集

カメラ・オブスキュラ!
こんな原始的な方法で映像が見れちゃうんですね
写真史勉強したくなってきた。

2008年07月01日 十和田 URL 編集












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